
(WENOD : 以下 W) : まずはヒップホップにのめり込んでいった経緯を教えていただけますか? (LARGE IRON : 以下 L) : 自分は小学生から柔道をやっていました。日々、厳しい稽古を積み重ねた者同士が畳の上で試合を行う訳ですが、勝利を収めた時の快感は格別なものです。高二くらいの時に INI や AZ Funk と初めてパーティーを企画して、初めてのステージを経験したんですが、LIVE終了後にその柔道で得られる快感に近いものを感じました。努力が報われた感覚というか、それ以来ですかね。 (W) : 柔道の思想で "柔よく剛を制す" という言葉がありますが、これに似た感覚は自身のヒップホップスタイルにも当てはまったりしますか? (L) : 無きにしも非ずというところでしょうかね。自分は非常に体格に恵まれていますから、Liveをパワーで押し切ってしまいがちな日々が歌い始めた頃にはありました。 あるとき、全く自分を見たことが無い人が、自分のRAPを聴いたとき、ただ雑に聴こえるのではと、悩んだ時期がありました。その頃から10有る力を8まで抑えて、残りの2で安定感を出すようにイメージしてLiveをこなす様になりましたね。今でもたまにリミッターが外れてしまう事が有りますがそういう時にはあまり納得のいくパフォーマンスとは言えない出来になりますね。自分に無いものを持ったテクニカルなRapperへの憧れは今でもありますよ。 ただし、主義、主張の感じられないRAPには全く興味はありませんね。小細工ばかりで結局何が言いたいのか解らないような曲は、聴いてる途中でこっちが照れてしまいます。 (W) : その後、"Mic Jack Production" に加入する訳ですが、そちらはどのような経緯だったのでしょうか? (L) : きっかけをくれたのは DJ PERRO (a.k.a. DJ DOGG) だったように記憶しています。当時98年位だったか、PERRO が主催していたパーティーにレギュラーMCとして誘ってくれて、既に PERRO はMic Jack Productionを B.I.G. JOE と立ち上げていて、別の箱でもパーティーをやっているから遊びに来いと。そのパーティーは毎週月曜日に行われていて、客の大半がMCという非常に濃いパーティーだったんですが、毎週欠かさず顔を出してはフリースタイルをしていました。そのうち、B.I.G. JOE に声をかけて貰い、Mic Jack Productionとしての最初の曲 "Chaos" に参加する事で、晴れて加入となりました。 (W) : そうだったんですね。と言う事は、現フルメンバーとして初めて制作された曲が "Chaos" と言うことなんですね。MJPのデビューアルバム "Spiritual Bullet" には "Remix Version" が収録されていますが、"Original Version" は存在するのでしょうか? (L) : 在りますよ。01年に札幌の "Tone Catz Records" というレーベルから「J線上エリアケースSP」というV.A.が発売されていて、その中に収録されています。他には自分や INI、B.I.G. JOE や SHUREN the FIRE のソロ楽曲が収録されています。あとHibikilla の楽曲も収録されてますね。 (W) : 本題に入りますが、ソロデビューアルバム "New Funk Form" のタイトルに込めた思いとはなんですか? (L) : 自分はそもそも全く音楽に関して無知な状態からHIPHOPに触れて、RAPし始めたんですけど、あるとき、HIPHOPという音楽が音楽として捉えられない時期がありました。HIPHOPの何がいいのかと本気で悩み、もうやるのも聴くのも辞めてしまおうかとまで思った時期もありました。そんな時に聴いた音楽が "Funkadelic" の "Maggot Brain"。 忘れもしません。自分は初めて音楽を聴いて嘔吐したんです。もう、衝撃としか言いようがない。ナマラ喰らったんです。それで音楽が人に与える影響を身体で理解して、自分のフィールドであるHIPHOPに没頭するきっかけになりました。自分はFunk Musicに救われた一人なのです。最近は少なくなって来たけど、HIPHOPのサンプリングネタにはFunkは欠かせないものですしね。 そこで、自分に多大な影響を与えたFunk Musicに敬意を表する形で、自分なりの新しいFunk Musicを作りたいと思い「New Funk Form」というタイトルにしました。でも、決してこのアルバムで人を嘔吐させたい訳では無いですよ (笑)。Funk Music特有の陽気な感じや、底無しの哀愁、どこか馬鹿馬鹿しい感じや無償の愛を自分の色で表現したつもりです。 (W) : では本作の内容について聞かせて頂けますか。 (L) : 全16曲入りのアルバムです。16曲中15曲のプロデュースを担当したのがDunDee-Dです。DunDeeとは自分がRAPを始めた時からの付き合いで、彼も元MJPとして活動していた時期がありました。自分の音楽に対するイメージを理解してくれている、とても頼りになるプロデューサーですね。 内容としては、日々の日常を歌にして込めました。クラブでの出来事や、同業者についてだったり、バイトの事や、両親の事、1stアルバムだし、背伸びしたトピックはあえて入れませんでした。自分の現実を切り取りはめていった感じです。ボーカルの客演はINI、J.F.K as Jay-K、あとなんといっても Jerry "Koji" Chestnuts ですね。 Koji 君とは同じ飲み屋に出入りしてたり、家が近所の時期もありました。自分はアーティストとしてKoji 君を心底尊敬しているので、一緒に仕事が出来た事は誇りですね。プロデュースの客演にはDJ Seiji に曲を提供して貰いました。一昔前だとSeiji さんに曲を提供して貰うなんて考えも付きませんでした。お互い札幌でHIPHOPしていましたが、Seiji さんの方がキャリアもずっとずっと上ですしね。本当に感謝です。 マスタリングは Inner Science に協力して貰いました。以前、MJPの音源の際にマスタリングを施して貰った事があって、絶対マスタリングは彼にお願いしたいと思ってました。とても太い音質の作品に仕上がったと満足しています。 (W) : リードトラックとなった "Don't Forget My Roots" では、自身のルーツについて語っていますが、このリリックに込めた思いはどんなものでしょうか? (L) : この曲に関しては、直球で両親への感謝の気持ちを込めて書きました。何よりも今、自分がここまで生きて来られたのは紛れもなく親のおかげです。多分20代前半には照れてこんな事は書けなかったと思いますが、今は、親になる事の大変さというのが凄く解る年齢に自分も差し掛かっているし、自分は今でも実家に住んでいるのですが、両親共に60歳を超えていまして、目に見える形で衰えてきています。 絶対に両親への感謝の気持ちは形に残したかったんです。幼少の頃に与えてもらった、無償の愛に対しての自分なりのアンサーとでも言いますか。そんな感じですかね。自分にとって、真面目に、地味に、慎ましやかに生きて来た両親は偉大すぎる存在ですね。 (W) : ジェームスブラウンへの賛歌でもある "JB iz Dead" ですが、その裏では力強いメッセージが込められていますね。 (L) : 誰かのモノマネの様なリリックやフロウやトラックが蔓延している気がするんです。 良いものをガイドラインにして何かを製作する事は、手法としては有りだとは思うのですが、HIPHOPに関してそれは絶対にNGだと僕は思うんですよね。一瞬でも誰かっぽいと思われてしまってはそのアーティストの主張は半減してしまう様な気がします。音色や声色一つで曲の印象はガラッと変わってしまいますしね。率直にそういった楽曲を聴くと残念だなと思ってしまいます。 ジェームスブラウン氏は本当に偉大なアーティストであったとも思うし、当時フォロアーも沢山いた事でしょう。ただし、そのフォロアーが世に名前を刻む事は決してないのです。憧れから抜け出して、自分の色で音楽を表現しようという気持ちを込めてこの曲は制作しました。君の心に住み着いてるのは誰?ということです。無意識かもしれないけど、浸食されているよと警笛を鳴らしたつもりです。 (W) : 尊敬、敬愛して止まないという、Jerry "Koji" Chestnutsさんとの "Realizm" ですが、制作に当たって何か思いでに残っていることがありましたら、教えて頂きたいのですが。 (L) : この曲はアルバムの中で唯一シリアスな楽曲だと自分では思っています。自分にとっての切実な現実を詩に込めました。働かなきゃ食べていけないし、かといってバイトばかりじゃLiveも出来ない。しかも給料は安いみたいな、皆が抱えている現実ですよね。 あと、最近はあまり見なくなったけど、朝方クラブの外で理由は解らないけど数人にボコボコにされている人をみたりして、本当に嫌な気持ちになったことがありました。本当に悲しくなった。最高に楽しいパーティーから一歩外に出ただけで地獄のような光景が広がっていた。世界に目を向ければもっと悲惨な事は山積みかもしれないけど、自分達の周りにだって悲惨な事は広がっていると思うんですよね。曲の世界観は自分の中で固まっていて、そこにどうしてもKoji 君のボーカルが欲しかったんです。 曲のデモを聴いてもらって、翌週にはバッチリのボーカルを作って来てくれたのには驚きました。アルバムのフィナーレにぴったりの楽曲に仕上がったと思います。 (W) : MJPは今年で結成10年を迎えましたが、過去を振り返り改めて今思う事は? (L) : 昔のMJPは良くも悪くも B.I.G. JOE のワンマンチームでした。彼にはそれだけの才能も嗅覚もあります。少なくとも当時の自分はそれに乗っかっていただけの様に思います。B.I.G. JOE に付いていく事に人生決めちゃってたんですね。それが急に居なくなり、「さぁ どうする?」となって、そこからの6年間が本当にいい経験だったと今思えているので、間違ってなかったんだと思います。 JOE がいない間、自分はどれだけ成長できるかと毎日が必死でした。それは、他のメンバーにも言える事だったのではと思いますね。そして、結成10周年と JOE の帰国が重なったこの年にソロアルバムをリリース出来る事は、全くもって偶然なんかでは無く、そうなるべくしてなったのだとも思います。それだけの努力をしてきたし我慢もしてきました。絶対にこのタイミングで自分は更なる高みに行くのだと確信しているし、Rapperとして、人間として成長できる年だとも思っています。 (W) : 6年の歳月を経て B.I.G. JOE さんが帰国され、Large Iron さん自身、そしてMJPのメンバーの中で何か気持ちの変化などはありましたか? (L) : 具体的に気持ちの変化を言葉にするのは難しいけれど、自分個人としてはプロとしての意識が高まったと思います。他のメンバーも何かしら変化はあったと思いますが、自分が口にする所では無いですね。これだけは言える事として、幾度も想定してきた6年後が現実になったのですから、Happy である事に間違いはないでしょう。 ただし、JOE がいない間のメンバーの動きは Wenod さんも含め、皆解ってくれていると思います。なあなあに過ごしていた時間なんて微塵も無いし、毎日ギリギリでもリリースとライブは絶やす事無く続けてきました。メンバーには既に揺るぎ無い自信があります。それは JOE も当然理解してくれています。 自分個人が客観的にこれまでのMJPをみた時、悲壮感の様なものが付き纏っていた気はしますね。それが、JOE の帰還によって、カラフルな印象が加わり、派手さが増したように思います。間違いなく今のMJPは無敵です。恐れるものは何も無いですね。どんどん Live をこなしていき、いろいろな事をはっきりさせて行きたいです。楽曲の製作もゆっくりですが動き始めています。楽しみにしていて下さい。そして、自分もMJPの一角を担うMCとして、誇りを胸に邁進して行きたいですね。 (W) : そうなってくると、Mic Jack Production本体の "Universal Truth" に続く3枚目のフルアルバムが非常に楽しみなのですが、既に準備の方は進行されているのでしょうか? (L) : それに関してはまだお答え出来ませんね。ごめんなさい。ただし、着実に進行しています。"Spiritual Bullet"、"Universal Truth" を超える作品になる事は間違いありません。 もう少し待っていて下さい。 (W) : 最後にオーディエンスにメッセージをお願いします。 (L) : 今までMJPの音源を聴いてくれている皆にも、また、今作で初めて自分の音楽に触れてくれる人も、是非、"New Funk Form" を聴いてみて下さい。きっと新しい聴き耳が増えると思います。そして、Large Iron というMCを多くの人に認識して貰えれば幸せです。近々、皆の住む街にもLiveで訪れる事が出来ると思います。その際には是非、このアルバムを聴きこんでから会場に来てくれるとうれしいです。 (W) : Large Iron さん、ありがとうございました! 取材 : 2009年8月11日 質問 : カミナガ (wenod records) 回答 : Large Iron (from Mic Jack Production) |
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